母の小さなラジオ

人生は小説より面白いです。

自分の語彙力の無さを恨めしく思いながら、明日は図書館に行って大好きな江國香織の小説を『大人買い』ならぬ『大人借り』しようと心に決める金曜日の朝。

母の小さなラジオ

 

 

午前7時15分。

『ママ、ラジオあったで〜。』

5才の長女が、アンテナの先が折れた古びた小型ラジオを、文房具が入っている引き出しの奥に見つけ、不思議そうな顔で持ってきた。

半年前に出て行った母のものだ。

 

母は60才で父と離婚し、今は私の家から歩いて20分の築40年のマンションに住んでいる。

長女が生まれ里帰りした時、父の母に対する暴言に耐えきれず、『一緒に暗そう』と思わず母の手をとった。

 

それから5年、初めての育児で極限の寝不足と疲労が続いた。

私は毎日、深海から残り少なくなった酸素ボンベを背負い、一本のピンと張ったロープだけを頼りに遠くの光を求めて足をばたつかせているようであった。不安と苛立ちに押し潰されそうだった。

もう全て投げ出したい、と追い詰められる私を母は暖かく、時に辛抱強く見守ってくれた。

 

その母が去年の暮れに突然、『もう、あなた等とは暮らされへん。』と言い来月引越しする予定で、不動産屋さんとも契約してきた、と淡々と説明した。

私は思い当たることがたくさんありすぎて頭が真っ白になった。引き止めだが母の意思は硬く、それから母は自分の部屋に引きこもりがちになり、食事の時もリビングに顔を出さなくなった。

 

引越しの前日、『今日は一緒に食べよう。』と魚が美味しいと評判のスーパーで刺身を買い、みんなで分けた。

結局、子どもたちがほとんど平らげ母はあまり食べていないようだったが表情は穏やかだった。

 

 

母がいなくなって半年、今は週に1回は近くのスーパー銭湯に子ども達と連れだって行く。

『子どもらの賑やかな声を聞いてると安心するわ。寂しいからいつもラジオつけてるねん。』と母が言うので『戻ってきたら?』と冗談めかせて言うと、少し間があって『ありがとう。』と母が答える。

何度も繰り返される会話だ。

もう一緒に住むことはないんだろう、とお互い薄々と感じているのだ。

 

 

今朝、母が亡くなる夢を見た。

なぜか母は私が以前務めていた大学病院に入院しており、『昨日から急に血圧が下がり状態が悪くなっりました、』と担当看護師が慰めるように私に説明した。

死目に会えなかった。

声を出さずに泣き、目が覚めた。

そして母のラジオ。

私は不吉な予感がして、慌てて携帯電話を探して手に取り『おはよう』と母にラインを送った。

しばらくして、母から『おはよう』と太陽のマークが付きで返事がきてほっと胸を撫で下ろす。

『ラジオつけてみよか。』と長女に言い、FMに合わせると荻野目洋子の『ダンシングヒーロー』が流れ始めた。

『愛してるよなんて 誘ってもくれない・・・』というリズミカルな音楽に耳を傾けながら、私は長男の口元に味噌汁を運ぶ。

時計を見ると、7時30分を過ぎたところだった。